えがおで りんと このばしょで

表現者であり女・小沼枝里子のあれやこれ。

死について。

水瓶座新月旧正月
明けましておめでとうございます。
小沼枝里子です。

久しぶりにしては大分ヘビーなタイトルですがw
そんなに内容はヘビーじゃない…と思うので、暇つぶしにでも読んでやってください。

先ほど、数年ぶりに葬儀というものに参列しました。
最後に参列したのは二十歳そこそこでしたから、もう5年近く経っているでしょうか。
その時は母方の祖母の葬儀でしたが、今回初めて「話した事が無いに等しい方」の葬儀に参列させて頂いたのでした。

あたしがとある劇団に所属していた頃、団体ぐるみでお世話になっていた方のお師匠さんで、通し稽古や本番を観に来て下さったりと、気にかけて頂いていた方でした。
あたしは帰りの電車の都合もあって、なかなか稽古後、本番後の飲みには参加出来ず、本当に出来ても乾杯をさせて頂いていた程度。
(一杯飲んで即出ないといけないパターン)

おそらく、むしろ参列は失礼させて頂いた方が礼儀なのでは、くらいの関わりしか無かったのですけれど。
どうして行こうと思ったのかも、終わってみた今もわかりません。
どんな気持ちで居たらいいのかわからなかったし。
だけど、参列させて頂けて良かった、と思う。
この言い方が合っているかはわからないけど。

「死」というものは、「生」と同じくらいに絶対的に「ここ」にあるのに、何とも不思議なもののように思います。
誰かの死に触れた時、何故か自分が生きている、という事がとても曖昧になる気がする。
今ここで息をしてこれを打っているのは誰なんだろう、と。
自分が死ぬ事ですら他人事のように思ってしまうのに。

あたしが泣くのも失礼な気がしていたのですが、やっぱり泣いてしまいました。
そして、ふと思った。
たくさんの人の想いが「場」に満ち満ちていること、相手を知るも知らずも関係なく、そこに共鳴して泣かせて頂けること。
心動かされること。

あぁ。それって舞台だな。

と。

自己満足ではありますが、最期に安らかなお顔を拝見させて頂いて良かった。
…うん、やっぱりお話してみたかったな、と今更ながら思っています。
どうか、安らかにお休み下さい。

祖母が亡くなった時の年齢と近かったので、今日は祖母の事も思い出してます。
ばーちゃん元気かな。